THA BLUE HERB/STILLING STILL DREAMINGについて(2018/5/8)

こんにちは

UZIの逮捕が記憶に新しい中、沖縄のラッパーRITTOが捕まっちゃいました。

UMB2012でサクッと東京で復帰したかのように見えました。
ハートフルなリリック・歌い方に心を打たれたヘッズは多かったでしょうが。。。
残念ですが、ヒップホップなんで。

ところで、そんなトリッピー関連で
下記のアルバムについてコメントしたく思います。(無理やり)
THA BLUE HERB/STILLING STILL DREAMING
STILLING STILL DREAMING
THA BLUE HERB
STRAIGHT UP RECORDS
2002-04-19


最近のBOSSはトリッピー・トランス状態な気もせんでもないですが
O.N.Oが作り出すトラックは黒く・ダウナーな感じです。

最近では「THA BLUE HERB/THA GREAT ADVENTURE – Mixed by DJ DYE」を購入して
個人的にはバチ上がりました。

THA GREAT ADVENTURE - Mixed by DJ DYE
THA BLUE HERB
THA BLUE HERB RECORDINGS
2017-07-26


「やっぱり最高」といった出来でした。
繋ぎも内容もリスナーに浸透していき、聴き終わるころには蝕まれる感じです。
MIXCDの感想を書くのもあれなんで、あえて最初で最高傑作の「THA BLUE HERB/STILLING STILL DREAMING」について書きたく思います。

ラッパーはBOSS THE MC/ ILL-BOSSTINO。DJ DYEにトラックメーカーO.N.Oです。
このグループ名にまず、「フルーハーツ?」と疑問を持ってしまうところはグッとこらえ
(なぜ、こんな名前にしたのか)、
TBHのコンセプトについて書きたく思います。
主に哲学の域まで達した内省的なセルフボースティングです。
そこに付随する地方(おもに北海道)からの台頭(=東京へのディス)、
アングラの主義主張(メジャーへのディス)です。
あくまでマイノリティ。徹底的な排他主義です。
もう本当に許さないんです。

ヒップホップのシーンもどうしても人口が多い東京が中心。
BOSSの矛先はあらゆるラッパーに刃が向きます。
猫も杓子もラッパーとしてのステージを許した(=敷居を低くして、日本のヒップホップの窓口を広げた)
ZEEBRAの功績をぶっ潰しにかかります。

この世界でやっていこうと思ってんだったら
一度ペンを持ったんだったら 痛い痛いって泣き言言うな
シーンはどんどん小さくなれば良い またそこから始めればいいだろう

本物以外いらないから、この土俵(=日本語ラップ)から消し去る勢いです。
BOSSの矛先は決して雑魚MCばかりを狙ったものではありません。
TOKONA-X、BIG JOE、MUMMY-Dなどと盛大にBEEFをします。(のちに和解)
北海道の音楽が高尚かつ偉大な音楽と誇示する一方で、
他の音楽を否定するのがTBHの流儀です。
せっかくだが北は別格だ 
残酷なまでに手を緩めないのが悪い癖と言われてた 
メンタルのラップを見せるベテラン THA BLUE

そんなスタイルにヘッズの心は完全に持っていかれました。
今まで韻だったり・形だけのスタイルの音楽に、
哲学まで組み込まれました。
リスナーの数を減らしましたが、日本語ラップを聴くリスナーの質は上げました。

歌い方はアルバムごとに微妙に変われど、ポエトリーリーディング。
Mr.アブストラクトとディスされども、結果を残し続けた気高きラッパーです。

さて、本作についてコメントします。
「ONCE UPON A LAIF IN SAPPORO」
北から日が昇ることに慣れてないオマエたちは
オレたちの存在そのものに戸惑っているんだろう
SAPPORO THA BLUE HERB

決してバリア,ワクチンも通じないマラリア,キャリアを口にする前に技を学びな
ゴシップをIQでいつも透視する,苦し紛れに女はオレに自意識過剰とか言う
どうやら幸運なことにこの時代もウデ次第らしい,さらに秋が深い
種が種を生み,予想もしない誰かに出会うために皿に滅びの克服を託す
この素晴らしき人生が全て夢だとか無限だとか言う理論は役に立たない
オレもオマエも誰も死ぬために生きる,もうずっとオレは終わらせるためにここにいる
これを聴いた東京のMCは殺意が芽生えたか、震えあがったかのどちらかでしょう。
地方を台頭を明示するこの曲でポエトリーだけで終わらせないリリックのスキルがあります。
特に大阪のR-指定にも影響を与えている節です。
「キャリアを口にする前に技を学びな」
R-指定の若いころも、スキル至上主義だったところで
こんなワードをサンプリングしていたのでしょう。

「BOSSIZM」

俺は小者の首には興味がわかないオトコ、ペンが指す方向
てらすストロボ、騒ぎ出す鼓動、ハイプレッシャーな状況に身を置き
ひらめくという事への喜びを
ライムひとつで現す試みを続ける心奥底の弱点滅ぼし鋼の衣に
ラッパーは光、コトバはカゲ、強くたたき上げ、それを長く響かせ
影響を手に操る者だけがひとり時の制約への抵抗をつづける
はいてすてる程ためこんだ嫉妬、おびえや恐れを 見てろここにはいて捨てる

韻を奴隷かの踏み散らかしていたラッパーには俄かに理解できない程に、
殺伐とし追い詰められた心理状況下で歌詞を推敲しています。
韻にも自分の心況を投影できるように、ラップと向き合っているのが垣間見えます。
ところが、言葉を大切に扱っているように思いきや
「ラッパーは光、コトバはカゲ」とラップしちゃいます。
BOSSにとってリリックはラッパーから出た投影物に過ぎず
言葉を読み解くことで当時のラッパー像を理解することができます。
このリリックは長い間物議を醸し、鬼一家のはこれを真っ向否定しています。
(そもそもTBH自体、物議を醸し続けてますけど)

MUMMY-Dが好きなはインタビューで
「いや、勘違いしてるし。『ラッパーは光/言葉は影』って、それ逆だから。言ってること違くない?って」と名指しで「嫌い」まで発言しており、
「ばっちこい」という曲は純粋無垢なディスソングです。

要は各々のラッパーがラップをどう捉えているかの違いですが
それを議題にラップをしたTBHは台風の目でした。

このブログで易々と駄文を重ねる訳にはいかないアルバムなので
ここらで止めたいと思います。
(例えば、PUNPEEのアルバムとかも難解すぎて、アルバムの芯までは理解できません。
中途半端だと、ファンから怒られそうで書きたくありません)
本当はまだまだ興奮を書けますし、ファンとして語れます。
このブログの性質(=お昼休みに急いで書いてる)上、2曲しか書けませんでした。
本アルバムではラップとはリアルで「生もの」であることを主張し、
偽物・加工されたくそな音楽を言葉通り「殺し」に来ています。
Nasに感化されたBOSSの上質な言葉が詰みこめられた本作は本当に傑作でした。
USの音楽・フロー・トラックの追っかけこも十分にスキルフルで面白いと思いますが、
そんな形骸化した日本語ラップは消耗品として聴いては捨てられる時代です。
再度、哲学的な分厚い本を開くような気持で
このアルバムを聴いて1から学ぶのもヒップホップな気がするんです。
あくまで「そんな時代もあった」と切り捨てるのか、
「日本語ラップのあるべき美しさ」を一つ見出すのか。
あのな、ルーキーで売る気はオレたちにはない
肩書じゃなくて、ラップの真価で真っ向勝負したTBH
今この時代の若いラッパーに足りないラッパーです。
日本語ラップオタク

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