日本語ラップ近代史③(2021/1/27) 

ウエストランド井口の言葉を借りると「日本語ラップに品行方正を求めるなよ!」



ラッパーは、基本的に品行方正じゃないし、
ラッパーのtwitterは、器の小ささが目立ちますが
器用な人へのライフハックとして、楽曲と人格は、別物として理解できると
人生が楽しくなりますし、他人に対して優しくなれます。おすすめです。

ぼくは、(楽曲が)好きなラッパーでも、twitterでブロックしていることが往々にしてあるので
新曲情報のキャッチが世間より遅くて苦労しています。。

前回から、自分の身分や能力を全力で棚に上げて、
世間で忌み嫌われているエセ評論家として記事書かせてもらいました。
今回も、引き続き、MCバトルで活躍したラッパーのMCバトルを確認するだけ
記事を書きたいと思ってます。前回より随分、ハードル下げました。笑

何も調べないで書きすし、過去の記憶を今から辿って、後付けの理由・妄想、積極的に誤解させたいという意気込みで書くので、
信ぴょう性なんて、とんでもないです。暇つぶしに読んでくださいませ。



近代日本語ラップ史③は、ぼくが大好きなラッパー、RAWAXXXについて書きたいと思います。

単に、今も昔も大会を盛り上げる好手という意味だけで功労者では無くて
もっと広義的にRAWAXXXが実は一番重要かつ日本語ラップを発展させた”功労者”だと僕は思うんです。
RAWAXXXは一本筋の通った努力家で、宮崎に限らず、予選を成り上がっていく姿に尊敬を禁じ得ません。
R-指定が伊藤博文であれば、RAWAXXXは山縣有朋だと勝手に思ってます。
(普通に歴史に詳しい人と山縣ガチ勢の人に怒られると思いますが)


2010年 mol53 a.k.a. オナペット時代

2009年の優勝は、鎮座DOPENESS、2010年優勝は謂わずと知れた晋平太です。

熊本予選時代RAWAXXXは、言わずと知れた宮崎のフッドスターですが
昔は、宮崎の地には予選がなく、九州の中では、比較的日本語ラップが盛り上がりにくい土壌だったと予想します。
(なぜかハシシというスーパースターが生まれています。)

当時、熊本の絶対王者(2009年準予選優勝・2010年予選優勝)は、COOKIEという「相手との対話が得意な正統派ラッパー」でした。
RAWAXXX(当時mol53 a.ka. オナペット)は、覇者を構える土地に出向くわけですから、非常にアウェイだった予想します。
会場は、COOKIEのバースでの盛り上がりが異常でした。
(いい意味でね。)

RAWAXXXは、熊本予選の2010年の決勝で、臆することなく熊本の絶対王者に対して、
完成度の高い即興性、変則的なフローと”精子をかけまくる”という下ネタラップをかまし、
完全アウェイな会場でしたが、引き分けの末に惜敗します。

この当時からRAWAXXXは、
UMBという地域性が比較的有利にでる(=他県のラッパーが勝ちにくい)大会において
2010年では、熊本準予選2009年の準優勝のあなるトリップに対して、BEST8で勝利し、
その土地ではアウェイなラッパーが、地元の王者の首元をギリギリまで詰め寄ることは、
今でも難易度が高く、めちゃくちゃすごいことだと思います。
むしろ、「会場が違えば、、、」という妄想もよぎる瞬間でした。

とはいえ、あなるトリップ、オナペットがBEST8に君臨する土地柄ということが常に気になります。


2011年 mol53時代

2011年は、(どの予選よりも重要すぎる敗者復活の王者として)晋平太が2連覇した年です。
2011年が異例なのは、2点あります。
1点目は、「各地方の有力ラッパーが招待され、敗者復活予選を新設」、
2点目は、「有力の土地の予選(福岡、大阪、名古屋、京都、東京)は、優勝者と準優勝の2名がGRAND CHAMPIONSHIP(”本選”)に参加可能」でした。

こうやって見ると、本選にすこぶる弱い福岡は、なぜ優遇されていたのか。。。
京都は、BONG BROSことRACY、B-COSMOも本選でうまく活躍できませんでしたが、2010年のCRESSは、BEST4なのでセーフ(ぼくが生まれた土地ですから)

2011年のRAWAXXX(当時mol53)も、2010年にも増して、他県の予選を大いに荒らしに荒らします。

先ずは、手始めに福岡から乗り込みますが、BEST4であえなく親不孝通りの息子ことPOCKY(現PEAVIS)の前に惜敗します。
福岡の重鎮こと智大、REIDAMから福岡のバトンを受けとる若手が、まさか他県のラッパーであることが許されませんでした。

なお、この時のPOCKYは、ぼくの好みのドンピシャで、いなたいスキルにひれ伏していました。
(今のPEAVISもいいけど、声が似てるだけの別人だと僕は思ってます。)



翌月の7月は、熊本の予選BEST8で、カツヲと戦います。
これも延長の末、負けてしまいます。
長崎のカツヲが、圧倒的ラップ基礎体力をもって、延長戦の後攻の利を掴みます。
これは、カツヲのラップの上手さが如実に出た試合だと思っていて、カツヲを讃えるほかありません。

なお、カツヲが所属する遍在groupsoundsは、翌年の長崎の覇者の玲音も在籍するレーベルで、玲音は、2020年良質な音源をリリースしています。めっちゃ聞いたなぁ。

2011年をもって、餓鬼レンジャーというレジェンドを生み出した由緒正しい土地(熊本)の予選は一回休憩となります。


RAWAXXXは、(たぶん)怒りに震えながら、最後の予選に参加します。
九州地方の総会屋ことRAWAXXXは、本選直前の12月の敗者復活にも乗り込みます。
圧倒的即興性をもって、句潤を下すも、ダ―スレイダーにBEST4で負けてしまいます。
試合の呼出がかかるも、遅れてしまい
その遅刻の件について、しつこくつかれてしまい負けてしまいます。

遅刻の理由は、おトイレ行っていたそうです。
なお、2011年の敗者復活の決勝のTK da黒ぶちは、TK史上もっとも強かったと思いますが、
GOLBYにめっぽう弱い当時無敵艦隊MCバトル殺戮機の晋平太の前に負けてしまいます。


2011年のRAWAXXXは、九州の予選を戦いつくし、それでもあきらめず、単身東京に乗り込んでいたんです。
おそらく、UMBでトップクラスに孤独に戦った男だったでしょう。

2011年は、アウェイでの正しい振る舞い・圧倒的強さ(=現場力)が養われたのではと予想します。それと比例することに認知度もより高まったと思います。
この当時からRAWAXXXは、勝負を知り尽くした晋平太とR-指定の強さの種類と正反対で、
トップオブザヘッドを貫き通し、用意した内容で踏まれない、一本筋の通った本物過ぎるラッパーでした。

当時の僕は、RAWAXXXのひたむきさと実直さに打たれ、2012年を迎えるまでもなく、ファンになっていました。






2012年 福岡代表mol53時代

結論から言うと、RAWAXXXは、UMB本選初出場にして、準優勝し、
全国区のラッパーになります。
地元の土地で根を張って、ぬくぬくと人気を蓄えて、本選に勝ち上がってきたラッパー、および
関東圏でYOU TUBEの露出が多く、人気を蓄えたラッパーとの強さの訳が違うことを
本選のステージでも証明しました。

前評判無し、ネームバリューなしに、強さだけを武器にして勝ちあがってきた正真正銘の「何もない街」からの武士でした。
ラップ基礎体力を培い、限られた小節数の中で、相手を仕留める殺傷能力の精度上げに上げ上げていました。
そんなRAWAXXXは、2012年、敵地である”福岡”の覇者として、本選に向かいます。

2012年の福岡は、今では有名な椿に、REIDAM、RIOという名手が乱立しており、
RIOとの熱戦では、RIOが白目をむきながら「エックス?セックス?悪乗りレイプする?全部吸う!!ありったけ」「ボッコボコいきまーす」と狂気荒ぶるラップを披露するも
RAWAXXXの本音である「さっきから韻が軽いな、なれ合いとかそんなのかったりいな」と太華も大満足な試合を披露します。


決勝のREIDAMから「16(小節)できる体力がねえから8小節4本なんだろ」というディスに対して、
「こんなやべぇMCが上がってきてるんだ決勝まで。16(小節)の2で終わらせるのはもったいない」とリスペクトを提示したうえで「R(EIDAM)かillerか名前を変えて、ちょこちょこ出てきやがって」と、
昔からUMBに出続けているRAWAXXXだからこ言えるパンチランで一刀両断。
父親の死、仲間の死を経験し、人間味を備えた狂犬は、福岡・親不孝通りという地にリスペクトを提示したうえで
宮崎のラッパーが福岡を背負いました。

福岡の王者は、皮肉なことに2009年のREIDAMぶりの本選での一回戦突破(REIDAMは二回戦負け)でした。
2012年の音源NEXT EPISODEです。




UMB本選は、優勝したR-指定よりも圧倒的不利(=本命が多い)な場所にいました。
一回戦:輪入道(千葉代表)、二回戦:RHYME BOYA(横浜代表)またはpeko(UMB 人気投票)、
三回戦:RAWAXXX同様、無名でありながらスキルだけで大番狂わせをしてきたkowree(島根代表)
準決勝:三連覇がかかった晋平太を葬ったばかりの目がパッキパキのNAIKA MC(群馬代表)です。

R-指定も、勿論すごいですが、R-指定の相手は
お隣街のNAJIMI(奈良)、GATIT(茨城)、RITTO(沖縄)、早雲(京都)といった猛者ぞろいですが
若干の実力が見劣りする相手ばかりでした。
(2012年では、すべて相手のフローに合わせたうえで優勝する、人間離れした芸当で勝ちますが
その意味では真のR-指定の強さを証明しきったのは、2013年、2014年かもしれませんね。)

RAWAXXX 対 R-指定の決勝は、RAWAXXXの明らかな体力切れでした。
RAWAXXXは、RHYME BOYAとNAIKA MCとの延長の末の勝利しているので、
しかも本選のステージ、おそらく頭も真っ白だったと思います。

決勝では、32小節目の最後の着地まで完璧に、隙が無くたどり着きますが、最後のバースまでどうなるか分からない楽しい試合でした。
やっぱり上質なMCバトルは、最後までどっちが勝つか、一瞬も分からない試合ですからねぇ、、




初戦の輪入道は、明らかに表情がおかしいくらいに、緊張していて、
変なポージングをとって余裕ぶってしまうほどに挙動不審でした。
2011年がR-指定一回戦負けの中、本選BEST4ということもあって、2012年の前評判のせいですかね。

調子が悪い輪入道くらいであれば、ネームバリューが明らかに劣っていようが、
RAWAXXXが確実に押さえた試合に、今見ても興奮が止まりません。






2013年-2014年 宮崎代表mol53時代

UMB本選で大きく活躍した地方MCであるRAWAXXX(当時mol53)とkowreeが、
自分の地元にUMB予選を誘致することに成功します。
これは、大きな出来事すぎますね。。

誘致することで、その土地のMCが地元のUMBを勝つことを目標に、腕を磨くわけですから
地方の日本語ラップが活性化しますし、乗り込んでくる他の土地のラッパーを勝たせないためにも
地元のMCはプロップスを高めるでしょう。。。良いことづくめ!

後々KOK、MASTERによる複数回の延長のすえ、
文字通り血で血を洗う殺し合いを繰り広げたGADOROと第一次世界大戦を宮崎の地で行われます。

2011年のチプルソを再現したGADOROのスタイルに対して、RAWAXXXは手の内を無駄に明かさず
loose yourself上において、公開お説教で説き伏せるという、目も当てられない有名な決勝となりました。
「この、バカたれ!!!!」
2011年まで宮崎予選がなかった弊害(=ちゃんとしたラッパーが育ってなかった)を露呈する形で
なんとも言えない宮崎予選の幕開けでした。


なお脱線しますが、KOKも良い大会(2015年から開催)で、
他の大会と比べて、トラックが上質かつ卸したての新品で、
MC漢おかげで雰囲気と格が最高です。
でもUMBは、MC漢と別れてしまえど、すべての都道府県で予選ができるネットワークがあるので、
地方の実力者に出会いやすいですし、自然と日本全国の日本語ラップが活性化されると思います。
(どちらも重要かつ大切な大会ですね。)

2013年本戦のRAWAXXXは、R-指定や晋平太、DOTAMAと比較すると、まだまだネームバリュー的に見劣りするし
本戦の経験は若干劣ります。なので、DOTAMAに悪態つくこともなく、ぺこぺこするRAWAXXXは非常に可愛いですし好感度高かったです。
準決勝のDOTAMAで敗退するも、RAWAXXXが延長のCompany Flowのトラックに合わせてイスラエルの5文字で踏み続けるバースは
圧巻でした。

また、2回戦目の大きな大きな山場、TK da 黒ぶちに対しても、紙一重で、延長の末勝ちきります。
「女 親父のオタマジャクシ
90年式 back to da basic
俺は90年式生まれだぜ
クラシック生まれのクラシック育ち
HIPHOPこいつがあれば
変えれる可能性に賭けてみてんだ」


やっぱりここ一番で、地力を遺憾無く発揮できるのは、
2011年からアウェイの地で若い時からうなづかせていたRAWAXXXの底力だと思います。

(なお、DOTAMAは、あいかわず地元のプロップスが低く、2011年でR-指定を下した後、BEST4に輝くも
2012年は、スマイル藤田に栃木予選で敗退し、2013年は東京代表です。)




宮崎に予選を誘致し、順風満帆なRAWAXXXですが、2014年の宮崎代表は、GADOROです。
2014年から大きく、RAWAXXXの人生は変わっていきます。
そしてGADOROとの因縁を深めて生きます。
2015年は、RAWAXXXが宮崎予選を優勝するも、逮捕により、本選は欠席です。

やっぱり、ここで逮捕さえなければ、RAWAXXXは、R-指定の次にちゃんと優勝できる(遅くともCHICO CALITOじゃなくて2015年には)
ラッパーだったと思います。

2014~2016年の宮崎予選では既に全国に通用するラッパーが頭角を現し、2011年までに見られた福岡の熱気が宮崎にあったかのように思います。
みんな大好きGADORO、U-22で頭角を現したadam、RAWAXXXの元相方のJECT、(レゲェですが)YOKO-U、(熊本ですが)Shun-p。
2013年に、RAWAXXXが「福岡予選の熱気を、宮崎に持ってきてぇんだ」と言ってたことをまさに有言実行していました。


この時のRAWAXXXは、既に先輩風をビュービューに吹かせており、昔以上に違法薬物のにおいがプンプンしていました。
それに拍車をかけるように、2015年からフリースタイルダンジョンの放送が始まります。
MCバトルの1つのテーマである「テレビに出るラッパー」対「革命はテレビに映らない派ラッパー」という
くそどうでもいい構図が作り上げられ(どっちも革命は映らない)、
さらに、MCバトルの熱は高まり、猫も杓子も子どもも、アイドルも、お笑い芸人もラップしたい時期に突入し、
”本物”であるRAWAXXXの温度」と有象無象のラッパーと明確の差が開きはじめました。

純粋なラップの覇気と上質なスキルだけで、勝つ必要がある試合が明らかに減り、
ラッパーとしてのバランスが変わりつつある瞬間でした。


まさかのまさか、RAWAXXXが戦極のレーベルに入る未来なんて想像していませんでしたし、腰抜かしました。
吉田さんの熱い説得に応じたのか、なんなのか。

RAWAXXXが今もなお、戦極のMCバトルにちょこちょこ出るのは、2013-2014年の恩があるかもしれませんね。
UMB予選の大総会屋ことRAWAXXXは、2011年の戦慄MCバトルに出ているわけですから、長い縁ですから、色々深い仲だったんでしょうか。

2015年以降 MOL53時代

さて、RAWAXXXが大きいタイトルを獲るのは、当初の勢いと比較すると非常に遅く
2017年のTHE CHOICE IS YOURSです。


あの忌まわしき、MASTERによるKOKでの相手が死ぬまでの無制限一本勝負の決勝は、
計4回行われたため、GADOROとRAWAXXXは、それぞれ128小節蹴りました。
今見ても、全体的にヒリヒリしていて、決勝なんかは、歴史的価値ある資料だと思います。


「MCバトルの勝ちは客が決めるかもしんない 俺の人間の価値は親が決めるかもしんない
名前を選ばれてMOL53″と名乗った時点で、そういうの捨ててるし名誉とかFUCKだし要らない
俺が言いたい事とお前が言いたい事は相まみれない つまりお前を仲間とは俺は呼べない」


R-指定が2連覇した後(完全にDOTAMAに勝利した後)であれば、
RAWAXXXの時代だったと勝手に思っていた痛いファンですが、
名誉とか要らないRAWAXXXにとっては、優勝とか目の前の勝利とかは意味がなくて
本当に純粋に「ラップがやりたい」「かっこよくなりたい」という初期衝動と熱い気持ちの延長線上に今があるのだと思います。


今のぼくなら、ストレートにRAWAXXXもCreepy Nutsが好きと言えます。
(昔の僕なら、「”あえての”Creepy Nuts」や「”一周回って”RAWAXXX」とか言っちゃってました。笑)

男ならば誰もが憧れるラッパーRAWAXXXについて書きました。




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