日本語ラップ近代史①(2020/1/4)

この間、Twitterで

「ようやくKOHHについて聴き始めた(学び始めた)んだけどR-指定・CreepyNutsとKOHHを比較した文献ってあったりしないのかな」

というツイートを見かけました。

僕も高校生のときに、今や死語となりつつある「さんぴんCAMP・BUDDHA BRANDとは、何ぞや」と思い
TSUTAYAのコーナーにほぼ1日滞在していたことがあるので、心臓を刺されるほどに気持ちがわかります。

結論から言うと、上記の質問は杞憂で、調べて、答え合わせをする必要もないんですが
共感できるツイートでした。
もし、その質問に、正しかろうが誤りであろうが、不躾にリプライしている人がいたら、
ちゃんとした老害か幼稚な高校生かと思いますので、お気になさらずです。

ぼくは現在28歳で、サラリーマンでいう”中堅”なんですが
KICK THE CAN CREW、SOUL’d OUT、RIP SLYME、nobodyknows+にどっぷり世代です。
高校生のとき、巷では、SEAMOのマタアイマショウが鳴り響いていました。






ただし、今とは違い、隠れキリシタンに近いレベルで、上記のラッパーには恩を仇で返すほどに
リスナーであることを隠してきました。
なぜなら、当時の日本語ラップのど中心だったSEEDA、THA BLUE HERBが上記のラッパーを否定していたからです。
SEEDA、THA BLUE HERBは、時に、傑作とされる名盤の曲中で、上記ラッパーたちを無残に切り捨てました。


少年である僕は、否が応でも、自分より年上のヘッズにすり寄るとき、自分がSOUL’d OUTの曲を全部歌えることを隠せざる負えませんでした。
むしろ良くない、ダサい曲だということを思い込まざる負えないほどに、病んでいました。
今、思い返すと、28歳に近い世代であり、ずっと日本語ラップを好きだったヘッズほど、
RIP SLYMEの曲を聴いて育ったわけで、影響を与えてないわけがありませんでしたし、
今溢れてる日本語ラップを聞けば、理解できるところかと思います。



僕よりか上の世代の人には、声を大にして「KICK THE CAN CREW、SOUL’d OUT、RIP SLYME、nobodyknows+を嫌い!あれは、ラッパーじゃない。HIP HOPじゃない」と言う世代です。
僕以下の世代の人は、声を大にして「KICK THE CAN CREW、SOUL’d OUT、RIP SLYME、nobodyknows+を聞いて育った。」という世代だと思います。


自分よりか年上の人が言う”アンダーグラウンド”を理解したふりをするためだけに、
上記のラッパーを否定(=HIP HOPじゃない)しているふりをしなければなりませんでした。
そんな罪滅ぼしを率先してメディアを通して実施したのが、何を隠そう。R-指定でした。



ラジオや雑誌、本を通して、元隠れキリシタンのR-指定は、神に背いてきた罪を懺悔するかのように、彼らを称え、
その言葉を免罪符かのように、隠れキリシタンこと、烏合の衆たちは、「KICK THE CAN CREW、SOUL’d OUT、RIP SLYME、nobodyknows+たち」をHIP HOPだと再評価し、実は聴いてきた事実を声高らかに宣言しはじめました。
例に漏れることなく、僕もそうです。R-指定という救世主によって、なんとか後ろ足で砂をかけ続ける業から解き放たれました。


そんな世代から見た日本語ラップの近代史(歴史というのは、なんか申し訳ない)を、MCバトルを軸に、そして、あくまで主観で書きたいと思います。

「えええバトルヘッズかよ。」

いいえ、男なら、MCバトルは、大好きです、断言します!笑

いまや”バトルヘッズ”とは、正式な侮蔑用語ですが、
2005年の「SEEDA/GREEN」のNoize Reductionでは、「フリースタイルできないラッパーは糞だ」的なことを言っていた記憶があります。




ラッパーとしてフリースタイルを避けているやつは、ワックだという価値観だった気がします。
(言いすぎですが、フリースタイル上手いラッパーは、しっかり評価されていました。)
そんな時代から、月日経ち、フリースタイルしかできないラッパー(≒楽曲がないラッパー・楽曲がダサいラッパー)という揶揄に変わり、
様々なラッパーの努力によって、そんなディスも2020年以降あまり聞かなくなりました。(今では、フリースタイルしてても、楽曲出してるのが当然。)

MCバトルで活躍したラッパーと当時リリースされていた作品を確認するだけでも
日本語ラップのほんの一面について少し語ることもできると思うので、多分ご安心を。
何も調べないで書きすし、過去の記憶を今から辿って、後付けの理由・妄想、積極的に誤解させたいという意気込みで書くので、
信ぴょう性なんて、とんでもないです!

暇つぶしに読んでくださいませ。

①UMB2007年以前

2007年の優勝者は、LUNCH TIME SPEAXことGOCCIです。

これは非常に読み取りにくいのですが、
レジェンドのカムバック祭りという印象が強かったので、優勝者であれど、びっくりするほど上手いというわけではなく、
「みんなが知ってる有名なラッパー」「みんなが知ってるパンチライン」というエッセンスが重要でした。



それよりも準優勝のBESが時代を読み取るのに最重要です。
この時が、なんといってもBES・SEEDA時代(=最も勢いある)でした。
優勝できなかったのは、決勝にも拘わらず、目の前のレジェンドに恐縮しきるBESのまじめさが起因してるのですが
準決勝まで順当に勝ち上がっている(世間が認めている)こと自体は、
2005年のカルデラビスタ、2006年のFORKというBBPからの「日本語ラップとは韻」という固定概念を断ち切る瞬間でした。



2005年から2006年の主な楽曲は、
2005年の「SWANKY SWIPE/Bunks Marmalade」

2006年の「SEEDA/花と雨」

という爆発的な名作が生まれています。



なお、メジャーシーンでは、2005年にRIP SLYMEは、初のベストアルバム「RIP SLYME/グッジョブ!」をリリースしています。

(KICK THE CAN CREWは、同じFGグループでいうRIP SLYMEの若干の後輩でありながらも、同世代っちゃ同世代です。
一足先に2003年の脳内VACATIONでいったん幕を閉じています。)



UMB2008-2009年

2007年GOCCIが優勝した年(=BESの時代)の次の年である2008年を見ると
般若が優勝していますが、この年のUMB東京予選は、鎮座DOPENESS、メシア THE フライが台風の目でした。(次の年の決勝の相手同士。フロー対決でいう好敵手でした。)
大躍進が見られ、試合を見ずとも、名前を見ただけで、”フロー”という文字が浮かび上がってきます。
もう一つ、この時流を読み解く助け舟で、UMB東京予選の一回戦「DOTAMA対般若」を見ると
「ドクタートーキョーのラップがSEEDAに似ている」と揶揄されています。


2008年「般若/ドクタートーキョー」4枚目のアルバムですが、、僕としては、当時から「そうかなぁ」と思う程度ですが
そうDOTAMAが誤認するくらい、「SEEDA/花と雨」は影響力があったといっても過言ではなく、次の年堂々のメジャーデビューを果たします。「SEEDA/街風」)

2008年の決勝は、もう一つテーマがありました。大阪の雄HIDADDYが2回連続で一回戦負けという、関西人からしたら信じられない状況でした。
2006年は、横浜の覇者FORKに2回延長の末、惜敗。2007年は、東京のヤンガンBESに2回延長の末、惜敗。

そこで、西の民は、思ったのです。
「会場が、東の地だったから負けたんじゃね???」
「むしろ、延長の一回目は、HIDADDYやったやろ」

そんな不平不満と、どうしてもHIDADDYを勝たせたい熱い気持ちが、UMBの本選を大阪に誘致したものでした。
誘致成功の結果、当時、京都に住んでいた高校1年生の僕は、観に行ってました。そして、何を言っているか聞こえないバトルを見続けました。

オープンのDJも大阪色で埋め尽くし、オープニングで歌う、煌々と白く光るSHINGO☆西成といった盤石の布陣でしたが
名の般若と圧倒的気合と圧倒的な知名度で、「なんばハッチ」のヘッズたちは、般若に対して声を上げずにいられませんでした。
なんといっても、HIDADDYに、2年前の切れ味と鋭さに欠けており、緊張していたのか、何か危ない草を吸いすぎていたのか
わかりませんが、西のヘッズたちも無事に正常な判定をする始末になりました。


そんなトピックがありつつ、東京予選では妄走族の同窓会、元”般若”の同窓会などありつつ、テーマが薄れてましたが、
”フロー”という裏テーマが、表になるのが次の年でした。


2009年は、時代が後押しがあり、鎮座DOPENESSのあっぱれ優勝でした。
決勝の横浜代表のNONKEYですら、鎮座DOPENESSに寄せて試合する泥試合でした。
(NOKEYの良さは、なんといっても横浜仕込みの固い韻ですから、、、村一揆)
とはいえ、UMBの東京予選も冗長な試合でした。


フローにおける弱点は、圧倒的決めて力の欠如です。
8小節×4本の総合力で判断するラップバトルは、声をあげづらく
「何がよかった?」って聞かれたら
「うーん、、全体的に??」としか言いようがない試合が続きました。

フローだって、いくつもあるわけではなく、Nasが言うように10年のラップの末にラッパーに自然と身に着くものであって
単にラップのやり方を工夫するものじゃないです。だから、歌い方を奇天烈にしただけのNONKEYは、フローじゃないです。
NONKEYの自の甲高い声とあぶなかっしいようなリズム感全てが一流のフローだと思ってます。
(「フローがない」って言うのは、絶対にあり得ないのですが。)

このバースのフローがやばいっていう称賛は、なんか違和感があって、
ラッパーのラップのトータルをフローというべきだと思うんです。

だから目新しいフローの切り口が、いくつもあるはずもなく、予選から決勝までの10本以上の試合ごとに
ラップの基礎体力だけを競う大会になっていました。

淡々とクールに韻を踏んだり、汗だくになって血管切れそうになりながら熱いことを言う大会から
一般人には、わかりにくいDMC的な、その業界に精通する人だけが興奮するような大会にMCバトルは進化を遂げます。


2008年-2009年の主な楽曲は、
「BES/REBUILD」

「SEEDA/HEAVEN」


「SEEDA/SEEDA」


「S.L.A.C.K./My Space」


「S.L.A.C.K./Whalabout?」


です。
リリックで説教する時代や自分の悪さだけを自慢する時代から、一聴英語に聞こえる日本語のラップが時流になりました。

こうやって、UMBで活躍したラッパーのスタイルと同時期にリリースされたラッパーの作品を見ると、
日本語ラップ近代史の変遷の1/100くらいは、若干理解できそうですね。

次回に続きます!!!たぶん。



~追記~
なお、ZEEBRAの名作「ZEEBRA/THE RHYME ANIMAL」は、1998年。
まさに名前負けしない韻を追い続ける草食動物でした。(この時は、まだチンピラ感よりも文系的なスタイル)

ZEEBRAが悪くなっていく時代は、2000年からです。
「ZEEBRA/BASED ON A TRUE STORY」

ZEEBRAが馬鹿にでも分かるように、日本語ラップを意訳したにもかかわらず
定義し、高尚なものへと昇華(縮小)させたTHA BLUE HERBです。
いまだに数多くのリスナーを呪い、その呪縛から解放されないで有名なファースト「THA BLUE HERB/STILLING,STILL DREAMING」は、1999年。

つまり、トレンドの順番に差はあれど、遠い未来の今から見れば、若干同時期です。
織田信長と豊臣秀吉の差みたいなものです。


ところで、THA BLUE HERBのラップスタイルも、大幅に伝染し、反映しづらかったであろう
MCバトルにも現れました。
青森には、Authorityよりも前に、「25時の影絵」というポエトリーに近いスタイルのラッパーがいました。
優勝したFORKにあと少しまで詰め寄りました。(そんなこともあったなぁ)






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日本語ラップ近代史①(2020/1/4)” に対して4件のコメントがあります。

  1. 通りすがりのB-Boy より:

    凄くためになる記事で、面白いのですが、
    nobody boys +じゃなくて、nobodyknows +じゃないですか?違ってたらごめんなさい

    1. wpmaster より:

      通りすがりのB-Boyさん

      コメントありがとうございます!!
      間違いないく、ご指摘の通りです。。。恥ずかしい!笑
      訂正させていただきました。ありがとうございます!!

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